2017年4月22日土曜日

2017/04/22: 捨ててこそ(6) FM3A さようなら

2月11日に、APS-Cのデジ一眼が壊れた話を書きました。修理不能になったカメラを捨てる話でしたが、いまだに手元にあります。使ってはいません(壊れたのだから当たり前)。使わないのに捨てられない・・・そんなバカなと笑われるでしょうね。もしかすると奇跡が起きるかもしれない・・・と、思っているのでしょうか?
それはそれとして、過日、倅が、以前使っていたコンタックスのG2というフイルム・カメラをプレゼントしてくれました。処分して小遣いの足しにしなさい、という有難い話なのです。早速木瓜爺がやったのは、電池を買ってきて、動作を確認することでした。余っていたフィルムもくれたので、それを使って試し撮り。交換レンズも全てテスト。カメラ本体は問題なさそうでした。レンズはカビは大丈夫なようですが、ゴミ入り(内部の塗装が剥がれたりしていることがありますが、素人にはちゃんとは見えません)が有るかも知れません。2基あったストロボの1基が動作不良。これはスクラップへ。
一応、外部は掃除して、売却処分することにしました。中古カメラ店の標準査定を調べますと、当初思ったより高価に引き取って貰えそうなのです。それ以前に、自分のFM3Aというフィルム・カメラの概算見積もりをして貰った額よりも高くなります。G2の交換レンズの一本が、高価なのです。買取額は、買い換えとしてなら、割り増しが付きます。両方同時に処分すると、中級デジ1眼の新品が買えます。ただし、そのレベルのカメラには、もう興味が無くなっています。買うならもう一クラス、上級の機械にしたい。・・・・・捨ててこそ が、どこかえ消えてしまいました。どうしようもない凡人です。
 とにかく、明日にでも、この2台と、別のカメラの交換レンズの残り物を担いで、写真屋に行くつもりです。査定次第で、僅かの現金を貰ってくるか、逆に少々持ち出しでも、新しい(新品という意味ではありません)中古機を担いで戻る事になるか・・・
このFM3A というカメラは、マニュアル・フォーカスで写すフィルム・カメラの最後のカメラでした。デジタル化の波が来なければ、木瓜爺の愛機として、今でも活躍している筈だった相棒です。それで、ずっと手元に残していたのです。今日は朝から、別れを惜しんで、あまりごしごしも出来ませんが、軽く磨きました。新しい「よいご主人」に巡り会えよ、と祈りながら。
捨てきれない木瓜爺ですが、台数だけは確実に減りつつあります。残りの35mmフィルムは、手元に残った、TROOF(カメラの名前)が引き受けると云っておりますので、電池を買ってきます。
来月は、My Family Story の続きを書きたいと考えています。


2017年4月7日金曜日

2017/04/07 ブログの悩み 

このブロガーでは、はみ出してしまうらしい「長文・多写真」の記事を書くために、新しい無料ブログに登録して使い始めたのですが、これが何とも難しい・・・・
昨日は10枚の写真を入れた物が公開出来たのですが、今日の分は、写真を受け付けてくれないのです。アップはできているのですが、記事に挿入しようとすると、昨日と違って反応しないのです。何が変わったのかさっぱり分かりません。
「うろじウロウロ」どころか「ブログうろうろ」になってしまいました。

 木瓜爺の健康法になっているのは、『「カメラを持って散歩」し、その次第を「ブログ」に書く、書きながら疑問に思ったことを、文献やインターネットで調べて、ブログに取り込む』 という、身体と頭の連動です。そのブログを読んで下さる方があれば幸い・・・

 話は変わりますが、木瓜爺の住む「羽村市」。玉川上水の取り入れ口がある場所です。この上水脇にも桜並木があるのですが、昨年、年老いて弱った木をかなり切りました。補強が必要な古木には支柱も付きました。しかし、いじられた所為もあったのか、今年はなかなか開花しませんでした。やきもきしていたのですが、やっと昨日、五分咲きくらいになったようです。

4/9 には、八雲神社の春祭りがあって、御輿は川の中を渡ります。ただ、川にかかる歩道橋の地震対策工事が行われた関係で、水深の状況が例年と全く違っています。多分、全体的に浅くなっているでしょうから、御輿に水浴びがさせられないかもしれません。どうなる事やら・・・



2017年4月5日水曜日

『実験版』  2017/04/05: 〔江戸の古社〕;木瓜爺撮歩77-1 王子神社 (木瓜爺ブログNo.3006)

撮歩ブログは、新しいFC2 の「続・木瓜爺ブログ」を使う筈だったのですが、ブログライターが、うまく接続できません。FC2を知らないらしい・・・使用するブログの種類とかリモート投稿のWEBアドレスとか、木瓜爺の知らないことを聞いてきます。

で、それが解決するまでの数日? この「木瓜爺 うろじウロウロ」の頁を借用しようかと思いました。ただし、こちらも写真枚数に制限があるらしいので、細切れ投稿になりそうです。それと、シンプルな写真配列を使います。やってみないことには分からないので、実験あるのみ・・・

久しぶりに「お江戸の古社」を訪ねます。「王子」にある「王子神社」です。ついでに「王子稲荷」もまわりたかったのですが、なんと、地図を忘れて(正確にいうと、どこにしまったのか分からなくなってしまって)今回は寄れませんでした。

久しぶりに「お江戸の古社」を訪ねます。「王子」にある「王子神社」です。ついでに「王子稲荷」もまわりたかったのですが、なんと、地図を忘れて(正確にいうと、どこにしまったのか分からなくなってしまって)今回は寄れませんでした。

 「王子駅」の利用の際、難しいのは、どの改札から出るかの選択です。「飛鳥山公園」に行くなら中央口、「音無川親水公園」や「王子神社」に行くなら北口。この二つの改札の中間に、横断歩道がない広い道路が通っているために、出る改札を間違えると、思いもよらない遠回りをさせられて、ひどい目にあうのです。此の日は、北口から出ることにしました。

プラットホームから飛鳥山を見ています。
此の日、木瓜爺は神田駅から京浜東北に乗り換えたのですが、ご存じのように、JR山手線は丸くまわっています。東北線も上野を過ぎて暫くしてから次第に山手線から離れて北北西に向かいます。丸く走る電車に乗っていると、方向感覚がおかしくなりまが、それが残っていて、ホームに降りた瞬間は、飛鳥山が北にあるような錯覚を起こしていました。実際は、王子駅の南にあるのです。






この階段を降りて、左に出ます。ですから、飛鳥山に行くなら「中央口」が良いということが分かった駅前の地図をお見せします。

「現在地」と書かれた場所におります。この地図、今回の「飛鳥山散歩」の範囲を網羅しています。現在地から真南に「王子神社」「音無親水公園」がありますね。その右の広い道路が横断歩道も歩道橋もないのです。横断するには、駅の北側まで戻るか、南の音無橋交差点の方まで行かないといけません。ひどい道路です。




改札を出てくると、こんな道があります。これは、「音無親水公園」に行く道です。この道を入って、「王子神社」に行くのが近かったようですが、木瓜爺遠回り道を行きます。線路沿いに進みました。

やはり、5枚が制限になっているようです。

これでは駄目なので、一応 投稿はしておきますが、本物は、「木瓜爺ブログ」に 公開します。


















2017年4月4日火曜日

2017/04/04: 飛鳥山の花見 (木瓜爺ブログ No.3005)

老人は、小さい文字は苦手なので、このブロガーの標準値より大きな字を使っています。しかし公開された状態では、大きく見えない・・・

4月3日 朝曇っていたので、一旦は出発を取りやめたのですが、9時近くに日が差し始め、やっぱり歩いて来ようと、飛び出しました。目標は15000歩程でしたが、地図を1枚忘れたために、11500歩で終わってしまいました。

京浜東北線の「王子」駅まで行って、「王子神社」「飛鳥山」を歩いてきました。地図を忘れたのは「王子稲荷」です。「王子神社」とは別の場所です。また日を改めて歩きます。
詳しいお話は、「木瓜爺撮歩」としてまとめます。

  写真は、「飛鳥山公園」。木瓜爺も少し高くなった所に座り込んで、パンなど囓りながらしぶーいお茶を飲んで(冴えない話!)お花見してきました。 写真一枚なら投稿出来る筈なのだけど・・・駄目ですねえ。写真のせいではない。ブログライターの設定が悪いのでしょう。要研究。

結局今日も、ブロガーの中のエディターで書いています。これでは、とても、「撮歩ブログ」はかけません。今日程度のダイジェスト版だけですね。やっぱり、別に考えます。
懐かしかったのは、飛鳥山にある、王子製紙(?)が昔作った「紙の博物館」。58年ぶりくらいでしょうか。昔の事は良く覚えていないのですが、「紙」の作り方の勉強に行った場所です。今は、展示も面白くなっています。多分、すっかり変わっているのでしょう。場所も違うようです。調べて見ると、『紙の博物館は、1950年(昭和25年)に、和紙・洋紙を問わず、古今東西の紙に関する資料を幅広く収集・保存・展示する世界有数の紙の総合博物館として、東京・王子に誕生しました。王子は、明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった抄紙会社(後の王子製紙王子工場)が設立された地で、"洋紙発祥の地"として知られています。


1949年(昭和24年)、占領政策の過度経済力集中排除法によって、王子製紙は苫小牧製紙・十條製紙・本州製紙の3社に分割されました。これを機に、翌1950年(昭和25年)王子製紙紙業史料室の資料を一般公開し、広く社会教育に貢献するために、王子工場で唯一焼け残った発電所の建物を利用して、紙の博物館の前身である「製紙記念館」が設立されました。その後、首都高速中央環状王子線建設によって工場跡地を離れることとなり、1998年(平成10年)飛鳥山公園の中に「飛鳥山3つの博物館」のひとつとして新装オープンしました。』  これで見ると、木瓜爺がうろついたには、発電所跡にあった時代なのですね。覚えていない話でした。 王子駅の南側には、お花見する場所が二つありました。一つは「飛鳥山公園」ですが、もう一つは「山」ではなくて、「音無川」の「親水公園」。団体様は「飛鳥山」ですが、爺ちゃんが一人のんびり花を眺めるのは「親水公園」のほうが良いかも知れません。

 
 写真の位置は、この3箇所にはおけるようです。中央に置いたときは、左右が無駄になりますから、中央は、大きな画像にすると覚えておきます。

2017年4月3日月曜日

2017/04/03 羽村の桜 (木瓜爺ブログ No.3004)

 

今日は「うろじウロウロ」に間借りをしようと思ったのですが、全然投稿を受け付けてくれません。「木瓜爺ブログ」通常写真が10~20枚くらい入ります。そういうことが うまく出来るかどうか、一度試してみるつもりでしたが、実行がのびのびになっていて、本日、実験兼本番ということになりました。ブログライターからの投稿が駄目では仕方が無いので、一旦、ログインして、コピペでライターの内容を転記していってみます。

 今年は、やや暖冬気味と思っていたのですが、桜に関しては、逆に遅くなっているようです。昨日4月2日にやっと、「咲き出したなあ」です。
 まず、3月30日の散歩で、福島県人会から寄贈された「三春滝桜の子孫」がだいぶ花を付けていました・・・というところ~始めます。この、ピンクに見える木なのです。遙か彼方に見えて居るのは「ソメイヨシノ」の桜並木ですが、まだあまり色づいても居ませんでした。

この孫滝桜が、程良く咲いた頃、羽村で一番大きいかもしれない、「枝垂れ桜」が咲き始めます。ここから、10分たらずの場所なので、見に行きました。咲いているようには見えないかも知れませんが、左の方の枝は、かなり開花していました。


 






















それが右の写真です。 此の日は、玉川上水沿いの「ソメイヨシノ」は、まだ堅い蕾状態でした。
 そして、四月二日朝。丸山児童公園の清掃に出かけて、公園の桜と、隣の「羽村歴史博物館」の桜(ソメイヨシノ)を見たときには、「開花」といえるな・・・位の感じでした。掃除が終わって、一旦我が家にもどり、また博物館に行き老人クラブの総会資料を印刷して、帰りがけに上の方を見ると・・・おやおや、随分花が増えたな・・・。 


 昼食を済ませてから、カメラを持って、博物館に戻り、多摩川右岸の桜を点検。まだ咲いていない樹もありましたが、そろそろお花見も出来るかな? でした。

それでは、「桜祭り会場」のほうを見て来よう。と堰下橋を渡って行ったのですが、玉川上水沿いは、一本だけ「5輪以上開花」があっただけでした。花はなくとも、お花見は出来るらしくて、人出はあります。 この分では、次の日曜日、「八雲神社」の春祭りは「桜満開」ということになりそうです。
・・・・・・ここまで、書くのに何時間かかったのかな?  写真は、まとめて先にアップロードしておいて、それを挿入しながら書かねばならないようです。これだと、gooなどと同じですね。
写真の位置を変える作業は、ひどくやりにくいです。プレビューを見ると、レイアウトもまるでデタラメになる用です。「撮歩ブログ」は無理だなあ・・・・